その昔
、弘法大師が杖ケ薮に通りかかった時、村人に水を所望されました。弘法大使は村人が沢まで降りて水汲みをしている様子を見ると、沢に降りずとも水を汲めるようにと杖を地面に突きました。するとそこから水が湧き出てき、そして弘法大師は村人に位牌を造る事で仏事に触れるように教えられました。
それ以来、杖ケ薮では高野位牌造りに永らく携わってきたと言い伝えられております。
江戸時代初期
に、天皇家の零牌(位牌)が金剛峯寺に納められていることなどから、遅くともこの頃には高野山で位牌が用いられるようになり、また位牌づくりも始まったと考えられております。
そして江戸時代を通じて、精巧で豪華な位牌から、日牌月牌(毎日や毎月の位牌供養のこと)で用いるような簡素な物まで、様々な位牌が造られました。
明治
に入ると、位牌製造を取り仕切っていた前田家が「前田豊作堂」を創業し、一括して高野山に納めるようになりました。また、他地域から職人を招聘し、新しい技術も取り入れ、現在の高野位牌の基礎が築かれたのもこの頃です。
そして現在も
「前田豊作堂」は高野山の位牌需要の大半を担っており、平成12年には長年の功績が認められ高野町文化協会より文化賞を受賞するなど、格調高い位牌を作り続けております。
KOYA IHAI CATALOG vol.22
クリックで拡大表示します。